マンガ・ロジスティクス・エフ

漫画とロジスティクスとFの話をします

在宅ノマド向けデスク環境(2024年春最新版)

状況

都内の3LDKに住んでおり、1部屋を仕事用にしていたが、家庭環境の変化により使えなくなってしまった。その日の状況により、リビング、子供部屋、車内など仕事場所を変える必要があり、かつ仕事してないときにはスペースを圧迫しない環境にしたい。

そういうわけで、しばらくラップトップ1台だけですべてが完結するようにしていたのだが、最近オンライン登壇が増えてきたのもあって、スライド投影用に外付けディスプレイが一台欲しくなってきてしまった。

また、家の中をチョコマカ移動しながら仕事してると、気がついたらバッテリーが10%切ってるようなことも普通にある。場合によっては電源が取りにくいところで仕事することもあったりするので、この問題は結構シビアだ。

実装

こういう感じになっている。

MacBook Pro 14inch (2021) と13インチ4Kディスプレイ

見えにくいが、ラップトップとタブレットの高さを調整するために折りたたみ式のスタンドをかませている。

ディスプレイは13インチ、4Kのものを使った。フルHDや2Kなども試したのだが、これらはピクセルの密度がMacbookのディスプレイに対して粗く、目が疲れてしまったので、4Kのものに変えた。

iPadを買ってSidecarを使う手も考えたのだけど、ディスプレイのために6万とか払うのも気が引けるし、中古で買うとLightning端子を用意しておかないといけなくなる。そのため、今回は外付けディスプレイにした。

ディスプレイは気分で使ったり使わなかったりする。元々複数のディスプレイがあると気が散ってしまうタイプなので、利用頻度は半々ぐらいだ。画面共有をしたいときとか、ドキュメントを写しながら仕事をしたいときなどに使っている。

電源

Ankerの大きいバッテリーを使っている。パススルー充電できるので、外部電源が生えているところで仕事するときはバッテリーに充電して、そうでないときは外付けバッテリーを使う。

電源のくびきから解き放たれるのはなかなか体験が良い。これと別に楽天WiFiを契約しているので、電源やWiFiがあるカフェを探さなくても、適当なところで仕事できる。

作業環境

デスクはキャンプ用の折りたたみのものを使っている。このデスクも常に使うわけではなく、ベッドに腰掛けて仕事をするような時に使う。

ec.coleman.co.jp

場合によっては床に座って仕事をすることさえあるので、そういうときは全てを諦めてラップトップとディスプレイを床に置いてしまう。といっても、スタンドがあるのでしっかり高さは出せる。床に直で座るのはややしんどいので、キャンプ用のローチェアを使っている。

片付け

仕事が終わるとこんな感じで折りたたむ。ドキュメントバッグに一式入ってしまう。折りたたみと展開がちょっと手間かなと最初は思っていたが、慣れてくればどうということはなくなった。

折りたたむとコンパクトになる。ちょっとしたスペースに隠せるレベル。

その気になればこれをそのまま持って出かけることも出来る。ただし重い。実際に出かけるときはラップトップとバッテリーだけをよそ行きのバッグに入れて持って行くことが多い。

感想

マンション暮らしだとこのぐらいコンパクトなほうがスペースを広く使えて楽。かっこいい書斎に憧れなくはないが、据え置きのものはどうしても片付けの邪魔になるので、畳んで収納できるものは便利だ。

余談

以前は Xreal Air とインフィニティチェアを使っていたのだが、 Xreal Air は眼精疲労がキツく、インフィニティチェアは座ってると頭痛がするようになったのでやめてしまった。

tsuemura.hatenablog.com

さわやかな人間を目指している

ジョジョ第5部はおれが初めてリアルタイムで通して読んだジョジョだ。冒頭でジョルノ・ジョバァーナの人物描写として「荷物を盗まれたにも関わらず嫌な気持ちにならない」やつだというのがあり、正直それの意味は全く分からないのだが、そういうやつになりたいと最近思うようになっている。

おれは昔からひねくれていて、なんとなく奇をてらうようなことをしたり、嫌味やキツい自虐を言ったりしがちだった。そういうのがかっこいいと思っていた。

もうちょっと言うと、SNSで人をフォローしないのがかっこいいと思っていた。フォロワー数がフォロー数より多いのをかっこいいと思っていた。今となってはもうその考えが究極にダサいのだが、なんか謎の美学があった。

なのだが、ここ最近になって急にそういうのがどうでもよくなってきた。普通に、奇をてらわずに、嫌味ったらしくなく、誰とでも仲良くなりたい。誰にでも気さくに声をかけたい。

どうしてこう思うようになったのか、はっきりはしていないのだけど、ここ数年他人との意見の衝突が多く、おれが言う事を誤解されることがすごく多かったのが関係していると思う。なんか、もっとサバサバと言いたいことを言いながら、それでいて特に嫌な感じがしない人間になりたいと思ったのだ。

周りの人間を見てると、たしかにそういう人はいて、そういう人たちを一言で表すと「さわやかなやつ」だなと思った。なんとなく、そういう人たちはもう生まれつきさわやかなんだろうなと思い込んでいたのだけど、別におれだって今からさわやかになれるんじゃないかとふと思い始めたのだよな。

おれは多分、さわやかなやつらに憧れながら、そいつらにコンプレックスを抱いていて、すっぱい葡萄みたいに思っていたんだと思う。でも、最近いろんなコンプレックスを頑張って解きほぐしてきて、その結果として素直に憧れたり、目指したり出来るようになってきたんだと思う。

まとまらないけど、おれはさわやかで、誰とでも仲良くできて、いつもプレーンに意見を交換でき、それでいて前歯を一本クラゲに変えられるようなやつを目指したいと思います。

マンガを一気読みするのはとてももったいない

よく、人にマンガを勧めると「完結してからまとめて読むようにしてるんですよ〜」と言われるのだが、非常にもったいないので今すぐ1巻だけ読めと勧めるようにしている。

おれも以前は完結してから読むタイプだったのだが、そうするとだいたい読んだ先から忘れていってしまう。記憶に残るマンガは、何度かに分けて読んだり、連載や新刊で毎回追いかけていたりするものだ。

マンガに限らずだいたいの創作はそうだと思うのだが、読んでいる間だけが読書時間ではない。むしろ、続きが気になる状態で、最後に読んだシーンや記憶に残るシーンを繰り返し反芻したり、続きを何通りか予想したりしている時間も、同様に読書時間に含まれるのだ。

マンガを一気読みしようとすると、大作であれば少なく見積もっても10時間ぐらいは見積もらないといけないかもしれない。おまけに、10時間集中が持続する人間はほとんどいないので、どんなに熱中していても結構な数の名シーンを流し読みしてしまう。つまり、10時間のうち、下手したら8時間ぐらいが無駄になってしまうかもしれない。

だが、例えば30分ずつ毎日読み進めたら、20日かけて一つの作品を消化できることになる。おまけに、読書時間は10時間に限らない。良い作品であればあるほど、四六時中その作品のことを考え続け、20 * 24 = 480 時間かけて一つの作品を消化することになるのだ。こんなに贅沢な読み方が他にあるだろうか?

というわけなので、マンガ(に限らずだいたいのもの)は一気に消化しないほうがコスパが良い。気にせず連載を追いかけていこう。ジャンプを定期購読しよう。

「モヤる」って言わないようにしている

昔は結構「モヤる」という言い回しを多用していた。例えば次のような使い方だ。

「◯◯社のNさんに『半年以上放置されてたのだからすぐ取り掛かってほしい』って言われたんだけど、なんかモヤるな」

要するにモヤモヤした気持ちのことを表している。当時はSlackの分報、いわゆるtimesチャンネルという個人チャンネルにこういうのをつらつら書いていたのだが、この言葉を入れると不思議と誰からも返事が来ないことが多かった。なので、意識的に使わないようにしていたのだけど、最近ようやく理由が分かってきた。

先に挙げた例のような使い方だと、Nさんに言われたことについて何らかの不穏な感情を持っていることを示唆しているのだけど、「モヤる」という言葉にどのぐらい強い意味を込めているのかが分からないし、そもそも読み手にどのようなアクションを求めているのかがはっきりしない。

おれが昔「モヤる」という言葉を使っていたのは、多分表現やコミュニケーションの未熟さから来ていた。Nさんに言われた、ちょっとチクっとする言葉について、色々と思うところがあるのだけど、それをNさんに面と向かっては言えず、自分でも上手く説明できず、誰にどう相談すれば良いかも分からず、気持ちの整理を付けないまま素朴に吐露してしまったのだと思う。

ただ、こういう素朴で雑な表現を使ってしまうと、読み手にニュアンスが伝わらず、みんなどう返事したら良いか分からなくて、結局「誰もおれのモヤモヤを救ってくれない」みたいな気持ちになってしまう。これは非生産的なので、悪い習慣を自覚して自分から止めれたのはすごく良かった。

代わりに使っているのは「こう思います」「こうあるべきです」「どう思いますか」といった表現だ。また、自分の意見があれば率直に表明する。そして、誰に聞けばいいのか分からなくてもとりあえず誰かにメンションする(オンコール用のエイリアスがあればそこに送る)。

とはいえ、昔はこれが出来なくて「モヤる」で片付けていたわけで、じゃあ何が変わったのかと言うと、自信が付いたことと、他者を信頼するようになったことだと思う。間違った人に聞いても怒るような人はいないし、的外れなことを言って笑う人や、言い方一つで怒鳴りつけてくるような人はいない。そして、おれはそうそう的外れなことを言わないし、そうそう怒らせるようなことを言わない。こうやって考えられるようになったので、おれはもはや「モヤる」という言葉を使わなくて良くなった。

「モヤる」に代表される雑な表現を避けると、自分の言いたいことをきちんと相手に伝えられるようになる。言語化能力はもとより、自信や信頼など必要なものは多いのだが、避けることによるメリットは多いと思う。

行き詰まった時には書き散らすようにしている

ものを書くのが好きで、仕事でもプライベートでも結構な分量のものを書いている。一方、世の中に出せるのは本当にごく一部で、ほとんどは手元のエディタでmarkdownでペロッと書いてそのまま消え失せている。

書くのはそこそこ速いほうだと思うんだが、生産性というか世にアウトプットを出す速度としてはかなり遅く、特に人に見せるような文は結構難産になることが多い。

行き詰まることもかなり多くて、そういうときはボツネタとして置いといて、必要になったときに再開することが多いのだが、最近は公開を前提として書く、平たく言えばお願いされて記事を書くようなことも増えてきた。そういうときはボツネタにするわけにも行かないので、歯を食いしばってひねり出すことになる。

最近になってようやく、この「ひねり出す」コツをつかめるようになってきた。『ライティングの哲学』という本で紹介されていたフリーライティングという、思い浮かんだことをただひたすら書き散らしていく方法だ。誤字脱字は特に気にせず、ただ思ったことを書いていく。

これがどういう状態に効くかというと、あるトピックについて書き慣れていないときに効くのだ。書く練習とも言える。ぼんやり思っていたことがあったとして、それについていきなり体裁の整った記事を書こうとすると上手く行かないので、まずは体裁のことを何も考えずに書いて、理屈を整理していく。書き散らしたものをアウトプットとして再利用しよう、みたいな欲は捨てたほうが良くて、むしろ一度書いたものだから二度三度書けるだろうという考えの方がよい。

「練習」という言葉を使ったが、実際これは練習で、ある種のプロトタイピングなんだと思う。あるトピックについて記事を書くためには3〜4回の練習が必要だ、ということが分かってきた。学校で習った作文の仕方は、まず下書きをして、次に推敲をして、というようなものだったと思うが、実際には何度も書く練習をしないと書けないのだ。

行き詰まった時には書き散らす、というのがものを書くときの流れとして自分の中に根付いてからは結構サクサクとアウトプットを出せるようになった。ちなみに、この文章はほとんど書き散らしと同じ雰囲気で書いているので、多分読みにくいと思う。すいません。(オチなし)

鍼治療で頭痛が楽になった

ここ2ヶ月ぐらい、週1で鍼治療に通っているのだけど、頭痛外来でなかなか効果が出なかった目の奥の頭痛に効いている。

何度か通っているうちに、明らかに「ココに打たれると効く」というポイントが分かってきたのだが、どうも頭痛のツボと同じ箇所らしい。この辺は偏頭痛界隈でも「ここに保冷剤を当てると効く」と認知されている場所なので、たぶんこのへんの筋群が頭痛に関係してるんじゃないかと思う。

頭痛に効くとされているツボ。エスエス製薬のサイトより引用 https://www.ssp.co.jp/eve/headache/selfcare/tsubo.html

鍼治療のメカニズムが気になるので色々調べていたのだが、詳しい論文は見つからず、鍼灸院のサイトやまとめサイトしか見当たらなかった。これらが信用ならないと言いたいわけではないが、エビデンスがあるほうがより信頼できるので。

ただ、あくまでおれの実感なのだけど、鍼が筋肉の緊張をほぐすのは確かで、かつ整体やマッサージよりも細かい筋群に対してアプローチする手法らしいということは分かってきた(まとめサイトは信頼せず自分の実感は信頼するというのがちょっとアレだが……)。

多分なのだけど、上記のツボあたりの筋肉はマッサージやストレッチだとアプローチしにくい部位で、鍼だと的確に刺激できるので効果が出やすいということなんじゃないだろうか。打たれると一瞬普段の頭痛に近い痛みが出るのだが、その後数日間はかなり楽になる。

後頭部を刺されるというのはなかなかに怖くて、最初はスプラッター映画みたいなオチにならないかドキドキしながら打たれていたのだが、2ヶ月かけて鍼灸師さんとも仲良くなり、ようやくリラックスして打ってもらえるようになった。だんだん体調の良い日が増えてきたので、マメに通うようにしたい。

しかし1回6000円はなかなかの経済的負担だ。ひどい肩こりの時なんかは医師の同意書があれば保険が効くらしいんだけど、ちょっと相談してみようかなあ。

チルドレン・ネバー・ギブ・アップ

メルカリで3000円で買ったボロボロのリップスティックデラックスミニ

お年玉でリップスティック(スケボーの亜種みたいなやつ)を買いたいと言われ、どうせすぐボロくなるし中古で買おうぜと言ってメルカリで探して買ったのが今年の正月。なかなか乗りこなせない子供に「一緒に練習しようぜ」と言って二人で転びまくってたが、先に乗りこなせるようになったのは子供のほうで、おれは何度か手のひらにでっかい擦り傷を作って、そのうち諦めてしまった。

最初の目論見だと、すぐあきらめる子供に「ホラ!パパは諦めなかったからら乗れるようになったぞ!」ってやってみせて、練習の大切さを伝えてやるつもりだったのだが、先を越されてしまっては立つ瀬がない。「子供と大人じゃ体重がそもそも違うしな」なんて適当な理由を付けて諦めてしまった。

なのだが、見ているとどうも、これは単純に練習量の差なんじゃないかという気がしてきた。子供は「できない!むり!」なんて言いながらずっと練習している。一方でおれは「諦めなければいつか出来るよ」と言いながら、自分では練習しないから、先を越されてしまったんじゃないか。

そう思って、初心に立ち戻るつもりで子供に練習の仕方から教わって何度かトライしたら、購入から半年を経てついに初歩の技である「腰を振って加速」が出来るようになった。

目論見とはうらはらに、おれがチャレンジの大切さを教わってしまったが、まあこういうのもいいだろう。今は逆上がりに挑戦している。子供とその同級生たちに「まだ出来ないの〜?」なんて煽られながら、重い体を持ち上げるのに四苦八苦している。