マンガ・ロジスティクス・エフ

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水澄まし、雑用、マルチ・ポテンシャライト

物流業界には「水澄まし」という業界用語がある。これは、作業場における物の流れをスムーズにする役割を指す。例えば、荷物のサイズを事前に仕分けしておいて、大型の荷扱いが難しいものを別のレーンに投げたりする。あるいは、納品された荷物のダンボールを事前に切っておいて、作業場でカッターを使うシーンを減らすようなことがある。これらは全体の業務効率を上げたり、作業の安全性を高めたりするのに役立つ。

この「水澄まし」のような仕事は、たいてい事前の計画には入っていない。事前の計画に基づいて作業の導線を設計して、いざ作業がスタートしてから必要になるものだ。作業場全体を見渡して、どこにボトルネックや事故の可能性があるかを見ながら、必要な支援をダイナミックに行う必要がある。それぞれの仕事は、特定の誰かの担当にするには小さすぎることが多い。必然的に、全体の効率を考えながら、そういう細かい仕事を拾っていける人が必要になる。

おれが物流業界を離れて随分経つけど、それからどんな職場で働くときも、つねに「水澄まし」として働くようにしてきた。とはいえ、その名前が通用するのは物流業界だけなので、大抵は「雑用係」を自称してきた。蛍光灯を取り替えたり、オフィスのLANケーブルを這わせたり、端末のキッティングをしたりしてきた。開発会社なのに開発者が誰も居なくなってしまった時には代わりに開発をして、お名前ドットコムのレンタルサーバーをAWSに切り替え、Gitでバージョン管理を始めた。あるいは、スタートアップでQAをやったり、E2Eテストを書いたりした。営業もやったし、クレームも受けたし、客先でデバッグしたりもした。おれにとって、そういう全てが愛すべき「雑用」だった。

どんな組織にも、必ず誰もやりたがらない仕事があるし、誰も拾わないボールがある。そういう仕事に名前を付けて、意味を見出し、誰かが専属で担うような大きな仕事にするのがおれの仕事だと思う。そうやって色んな事を程々に出来ることが、自分のプロフェッショナリズムだと思っている。


ところで、最近『マルチ・ポテンシャライト』という本を読んだ。

マルチ・ポテンシャライト 好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法 | エミリー・ワプニック, 長澤 あかね | 自己啓発 | Kindleストア | Amazon

(リンクテキストに「一生食っていく」「自己啓発」などのワードが並び治安が悪いが、大変良い本)

興味がコロコロ変わり、特定の専門領域に縛られない仕事の仕方をする人たちについての本だ。いままで、ジェネラリストとか、飽き性みたいな呼ばれ方をしていた人たちにマルチ・ポテンシャライトという名前を付け、彼らの中にもいくつかの種類がある(例えば、連続起業家のような「フェニックス」タイプや、一つの会社でいろんな役割を果たす「グループハグ」タイプなどだ)ことを明らかにし、そしてそういう働き方に特有の悩みや壁を乗り越える方法について書いてある。

この本の素晴らしいところは、いろんなことに興味を持ってしまう人が、その特性をどうやって仕事にして、食べていくかに着目しているところだ。サブタイトルもそのまま『好きなことを仕事にして、一生食っていく方法』となっている。だから、単に「世の中一つのことを突き詰めるだけじゃなくて、いろんな働き方があるよね」という説明だけじゃなく、マルチ・ポテンシャライトのための生産性システムや、マルチ・ポテンシャライトとして働く上でありがちな不安なんかについても書かれている。

読み終えて、おれはなぜ色んなことに関心を持ちがちなのだろう、なぜ雑用が好きなのだろうということを考えた。そして冒頭の水澄ましのことを思い出した。つまり、業務プロセスでもプロダクトでもサービスでも何でもいいんだけど、そのサイクル全体がどういう目的を持っていて、どうすればその目的を満たすきれいなサイクルを作れるのか、そのために今何が足りないのかを考えて、足りないところに自分が入るのが好きなんだと思った。

マルチ・ポテンシャライトは、世の中のさまざまな側面を学ぶうちに、それぞれのテーマが互いに関連し、影響し合っていることに気づき始める。視野が広いので、一つの分野を深く理解しているスペシャリストが見逃しがちな、システム全体の問題に気づける。そして、ある選択がほかの部門に影響を及ぼすことを知っているから、事情をよく理解して思いやりのある解決策を生み出せる。

一方で、オフィスの蛍光灯が切れているとき、ほとんどの社員たちはそれに目もくれず、一部の優しい社員が直しているような会社のことを考えた。蛍光灯が一つ切れたぐらいで対して仕事には影響しないし、それを変えたところで給料に差は出ないだろうけど、そういう細かいところに継続的に手を入れていかないと職場環境はどんどん悪くなってしまう。そういう細かいところに気づいて直してくれる人は貴重だし、そういう人がいると職場の雰囲気は明るくなる。

でも、その人に甘えてばかりでいいんだろうか?それは「全体最適」につながるんだろうか?「なんでも二つ返事でやってくれる人」がいることで、いろんな面倒ごとがその人に押し付けられて、組織自体は何も良くならないようなことをたくさん見てきた。

結局、雑用係を自称している限り、雑用は雑用のままなんだなというようなことを思った。雑用係がいる限り、雑用そのものがスケールし、それを前提とした組織構造になってしまうのだろうなと思った。スペシャリストたちが自分の仕事に集中するために、様々な細かい面倒事が押し付けられるところだ。おれはあんまり大きい会社で働いたことはないけど、会社が大きくなればなるほどそういう部署が出来る可能性があって、たぶん「総務」とか「庶務」みたいな名前がついてるんだろうなと思う。


ただ雑用を引き受けるだけじゃ組織は何も変わらない。その雑用の中から仕事として切り出せそうなものを探して、組織全体を良くするためのパーツとして整理し、それを専門職のチームとして成り立たせることが必要だ。

そういう仕事は、全体を見渡せる人じゃないとできない。同時に、それはただ「マネージャー」という肩書きを持っているだけでも出来ない。もちろん、ただの雑用係にも出来ない。幅広い経験と、それに裏打ちされた高い視座を持ち、全体のことを考えながら組織に新しい役割を作れるような人でないと出来ない。 『マルチ・ポテンシャライト』は、そういうことを考えさせてくれる本だった。