マンガ・ロジスティクス・エフ

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商業的成功はプロダクトの質が支え、プロダクトの質は技術者の成長が支える

学生のころの話だが、おれは自転車の空気が抜けやすいことに悩んでいた。当時バイト先まで電車で2駅、自転車だと20分くらいで着くような距離感で、交通費を浮かすために自転車通勤していたのだが1、バイト先に向かうときにはパンパンだったタイヤが、帰る頃にはベコベコになっているのだ。冬の寒い中、歩いて1時間近くかけて自転車を押して帰ったのを良く覚えている。これほどまでに鮮烈に覚えているのは、一度だけでなく二度三度同じ現象に悩まされていたからだろう。

タイヤのパンクを疑って自転車屋に持っていった。個人でずっと長く続けているような、古ぼけた、廃倉庫のような見た目の自転車屋だったが、なにしろ家から一番近かったのだ。店の奥に声を掛けると、ランニングシャツと短パン姿の老人が面倒くさそうに出てきた。彼は手際よく自転車のチューブを外して、水を張ったタライにチューブを浸し、空気の漏れをチェックした。そして、「どこもパンクしてないよ。誰かにイタズラで抜かれたんじゃない?はい、チェック料1000円ちょうだい」と言った。おれはしぶしぶ1000円払った。当時おれは時給800円で働いていたので、この1000円には、おれの1.25時間分の価値があった。

冒頭で書いたが、この現象は一度ではなく二度三度繰り返し起きていた。もしこれがイタズラだったとしたら、おれがバイト中に繰り返し同じイタズラを受けていることになり、さすがに考えにくい。

ダメ元で父に相談した。父は学生時代に自転車で日本一周したことがあるらしく、自転車のメンテナンスにもある程度詳しい。父は自転車のチューブには主に仏式・米式・英式の3種類があることを説明し、おれの自転車に英式が使われていることを教えてくれた。そして、いまおれの自転車に起きている不具合が「スロー・パンク」という事象であることと、英式チューブでは「虫ゴム」というパーツの劣化によってこの現象が起きやすく、交換用の虫ゴムを自転車屋やホームセンターなどで購入してはどうかとアドバイスしてくれた。

件の自転車屋にはあまり行きたくなかったので(虫ゴムなるものが店頭にあるかどうか不安だったし、何より印象があまり良くなかった)、おれはホームセンターの自転車コーナーで虫ゴムを買い、自分で取り付けた。それから、スロー・パンクは二度と起きなかった。

この出来事はもう20年以上前の話だ。だが、それ以来ずっとおれの頭の片隅に置かれていて、一度として忘れたことはない。それは、この疑問の答えがずっと出せていないからだ……なぜ、あの自転車屋は虫ゴムのトラブルに気づかなかったのだろうか?なぜ、メンテナンスのプロでも何でもない元ホビーサイクリストの父はすぐに気づいたのだろうか?


あれから20年、おれは引き続き自転車に乗っている。どこに注油すべきでどこに注油すべきでないかを良く知っている2。どの程度の空気圧が自分の自転車にとって適切なのかを良く知っている。ガタツキやパンク、ブレーキワイヤーの緩みなどのトラブルについて、典型的な原因とそれに対する対応方法を良く知っている。自転車の分解方法と再組み立ての方法を良く知っている。一方で、プロに任せたほうが良い部分があることも良く知っている。例えば、自転車のホイールはスポークのテンションを適切にバランス良く調整しなければならないため、熟練の業が必要とされる。他にも、専用の工具が必要なものについては自転車屋さんに任せることも多い。例えば、チェーンの交換や、ハンドルの切断にはチェーンカッターやパイプカッターなどの工具が必要なので、そうしたことは自転車屋さんにお願いしている。しかし、ホイール組みにせよチェーン交換にせよ、もしそれを本当に自分でやりたくなったらそうするだろう。つまり、自分の手でもっと乗り心地を追求したくなったならば、自分でやるのが一番の近道なのだ。

おれは趣味で自転車に乗っている。仕事でメンテナンスをしているわけではないので、時間が許す限りいくらでもメンテナンスに費やすことができる。自分の自転車の乗り心地に、多くの金と時間を費やしているのだ。同時にそれは自分の技術的成長に繋がる。

かたや、虫ゴムの劣化に気づかなかった自転車屋は、当然ビジネスとして自転車屋を営んでいる。例えば、組み立て済みの自転車の販売や、防犯登録の事務手数料、そしてパンク修理などのメンテナンスで収益を得ている。仮に自分自身に時給2,000円を支払っていたとしたら、パンク修理1件1,000円で利益を出せるのは、それが30分以内に解決した場合だろう。だから彼はあれほど鮮やかな手際でタイヤからチューブを外し、パンクの有無をチェックしたのだ。10分もかからなかったのではないかと思う。そして、彼は「パンクしていない」という事実を顧客に返し、その対価として1,000円を受け取った。純利益率では70%程度になる。

ここで問題になるのは、当然 顧客の問題は解決していない ということだ。あの自転車屋は虫ゴムのトラブルに気づかなかった。それが彼の無知によるものなのか、ミスによるものなのか、それとも何らかのビジネス上の判断によるものかはわからない。だが、結果としておれ=顧客は 問題が解決しなかったことに対して1,000円を支払った


おれは一人のホビーサイクリストとして自転車のメンテナンスを学んだ結果、虫ゴムの劣化も含めた一般的なメンテナンスの知識を得た。また、それによって乗り心地の良い自転車を得た。ただし、この成果を得るまでにはそれなりの時間を費やした。それはおれが自分の自転車のメンテナンスを自分のためだけにしていて、ビジネスとして対価を得る手段として扱っていないからだと思う。言い換えれば、おれは自分の自転車の乗り心地を良くするために手段を選ばないし、そのための労力を惜しまない。そして、その過程でおれの自転車メンテナンスの技術は向上し、更におれの自転車の乗り心地は良くなる。おれは 学習し、成長する 。それを反映させるかのように、おれの自転車の質は高まる。

しかし、もしおれがプロとしてサイクルショップをオープンすることになったら、おれの持つ様々な技術は、自分自身ではなく 顧客のため および 利益のため に使われることになるだろう。

もし利益を追求するなら、おれは出来るだけ素早く顧客の求めるものを提供するべきだ。例えば、おれがパンク修理を依頼したあの自転車屋のように。繰り返すが、あの自転車屋の腕は確かだった……慣れていない人間にとっては、自転車のチューブを取り外したり、どこがパンクしているかを調べたりするのは一苦労なのだ。だが、あの自転車屋は難なくそれをやり遂げた。つまり、パンク修理をしてほしいという依頼に対して、あの自転車屋はものの10分かそこらで回答を出したのだ。「パンクしてないですよ」という回答を。

しかし、それは 顧客のため にはなっていない。もし彼がパンク = チューブに穴が空いている状態だけでなく、虫ゴムの劣化という別の事象に対して思い至ったならば、彼は恐らくおれの父がやったようなアドバイスをしたり、倉庫から虫ゴムを出してきて付け替えてみたりしてくれただろう。もし彼が虫ゴムの劣化に思い至らなかったり、あるいはそういう事象があることを全然知らなかったとしても、仮に顧客たるおれの言い分にもう少しでも耳を傾けていれば、「イタズラされたんじゃないの」などと断ずることなく、もっと良くそのチューブのことを調べたかもしれない。そして、顧客の要求に関わらず、 顧客が本当に求めていたもの = 空気が漏れない自転車 を提供出来たはずだ。


これらのことから、おれは技術者としての成長と商業的な成功、そして利用者に与える価値の質について以下のような事柄を考えている。

まず、おれは自分が乗る自転車のメンテナンスを自ら行うことで、自転車のメンテナンス技術について成熟した。また、自分のメンテナンス技術の向上により、自分が乗る自転車の乗り心地、つまり が向上した。自分自身が利用者である限り、この2つは常に相関関係にある。

しかし、技術者として誰かの自転車のメンテナンスをするなら、そこには何らかの対価が発生する(ボランティアでない限りは)。ここで 商業的な成功 という要素が新たに導入される。つまり、我々は顧客の要求を、得られる対価に対して小さなコストで解決する必要がある。そうしない限り、我々は利益を得る事ができず、日々の衣食住に事欠くことになる。

これはジレンマ、あるいはトリレンマだ。技術者としての成長は、自転車の質を高める過程で得られる。逆に言えば、自転車の質を高めるのではなく、単に求められた技術をサービスとして提供するだけでは、技術者としての成長は得られない。しかし、高い利益を生み、商業的成功に繋げるためには、技術者としての成長を捨て、今持っている技術だけを提供するのが最も手っ取り早い。しかし、技術者として成長しなければ(つまり、例えば業務を通じて虫ゴムのトラブルについて知る機会がなければ)、顧客の課題を解決できず、低品質のサービスしか提供できない可能性がある。

逆に言えば、商業的な成功はとりあえず後回しにして、業務の中で技術者として成長する機会を得て、顧客に質の高いサービスやプロダクトを提供出来たならば、その後で商業的な成功を得る可能性もあるだろう。つまり、商業的な成功を後回しにする=技術者としての成長に投資することが出来たならば、その後利用者が受け取る価値の質は高まり、より大きな対価を得られる可能性もあるのだ。


今、おれはソフトウェアエンジニアとして働いている。入社したばかりのときはRuby on RailsやReactのコードを読むのにも一苦労したものだが、今ではスラスラと読み書きできる。現職ではSeleniumやAppiumなどのオートメーション技術を駆使するので、それらに対する知識もある。これは、現職がおれの技術的成長に充分に投資した結果だ。より正確に言えば、短期的な利益を求める代わりに、おれが顧客の要求に充分に耳を傾け、技術的にその課題を解決するのに労力を費やすことを認めてくれたからだ。そしてその結果、おれ(たち)は顧客への技術的サポートやプロダクトの改善を通して、顧客により価値の高いサービスとプロダクトを提供できる。これは将来的に会社のより大きな商業的成功に繋がると確信している。

どのような形であれ、質の高いサービスを提供したり、質の高いプロダクトを作るには、技術者の成長に対する投資が必要不可欠だ。そして、それは商業的成功に繋がる。順序が逆になる、つまり商業的成功を技術者の成長よりも優先してしまうと、質の低いプロダクトやサービスに繋がり、顧客の要求を充分に満たせず、結果的に商業的成功を満たせないことになる。

技術者としての成長と商業的成功は得てして二項対立となる。つまり、技術者の成長に投資をするならば、(一時的には)商業的成功には繋がらないというものだ。しかし、ここに利用者が受け取る価値の質、具体的にはサービスやプロダクトの質を絡めて考えると、この3つは相関関係となり、良いサイクルを生み出せるかもしれない(もちろん、質の高いプロダクトを顧客が求めている、という前提付きではあるが)。


これまでの話を、冒頭の自転車屋で改めて例えてみよう。

継続してプロダクトやサービスを提供し続けるには商業的利益の追求が必要だ。自転車屋で例えれば、自転車が売れなかったり、メンテナンス依頼が来なければ、廃業に繋がる。提供する技術の対価として収入を受け取り、それによって利益を出す必要がある。

そして、商業的利益を追求するには、質の高いプロダクトやサービスが必要になる。なぜなら、それらの質が低いままでは、顧客の問題を解決せずに対価を受け取る可能性が高く、リピートに繋がらないからだ。自転車屋で例えれば、虫ゴムのトラブルに気づかない店員のいる自転車屋は、問題を解決できずリピーターを失う。逆に、顧客が何を要求しているかに関わらず、彼らの抱える本質的な問題を解決できれば、その顧客はリピーターになる可能性がある。

そして、質の高いものを継続的に提供しつづけるには、技術者やサービサーとしての成長が必要不可欠だ。あの自転車屋は虫ゴムのトラブルに気づかなかった。憶測でしかないが、彼は業務を通じて虫ゴムのトラブルに気づく機会が無かったのかもしれない。彼が時間をかけて顧客の問題に取り組み解決に導けるようにすれば、彼らは業務を通じて技術的に成長し、次からは似たような問題をより素早く解決できるようになるだろう。

重ねて言うが、もしこれが趣味の自転車いじりであれば何も気にすることはない。おれは自分の自転車の乗り心地に投資すると同時に、自分のメンテナンス技術に投資する。この時、質(乗り心地)と技術は一つのサイクルの中にあり、相関しあっている。

だが、技術を対価に商業的利益を得るのなら、商業的利益もそのサイクルの中に組み入れる必要がある。商業的利益が導入された瞬間に質が犠牲になるようなことがあれば、そのビジネスの寿命は長くないだろう。なぜなら、技術の向上と相関関係にあるのは質であり、商業的利益ではないからだ。言い換えれば、技術者としての成長はプロダクトの質を支え、プロダクトの質は商業的な成功を支える


ところで、もちろんこのブログは『禅とオートバイ修理技術』にインスパイアされて書かれている。未読の方はこっちのほうが断然面白いので読んでみてほしい。

1 会社に申告しているのと違う手段で通勤し、立替え交通費を受給する行為は発覚した際に差額分の請求を受けるリスクがあるばかりか、通勤中の自己が労働災害として認められないケースもあるので、絶対にやめたほうがいい

2 グリースが流れ出る恐れがあるので、注油が禁忌とされているパーツがあるのだ。例えばペダルの付け根の部分など。もちろん、ブレーキなど摩擦によって機能を発揮するものについても当然潤滑油は付けるべきではない