マンガ・ロジスティクス・エフ

漫画とロジスティクスとFの話をします

心の燃料が切れてしまったときのこと

夜9時に子供と布団に入り、読み聞かせ(大抵は子供が勝手に読んでる)をしながら9時半ぐらいには眠りにつく。浅い眠りの中、夢の中でも仕事のことを考えている。同僚と議論したり、コードを書いたりしている。そして、何かの結論に達した時、「これだ!」と思い目覚める。時計を見るとまだ真夜中、時には日付が変わってないような日もある。そのままPCを開き、ドキュメントを書いたり、Slackに返信したり、コードを書いたりする。明け方になって、少し眠くなり、仮眠する。目が覚めて、朝食を取り、子供を保育園に連れていき、帰宅してそのまま仕事を続ける。同僚から「いつ寝てるんですか?」なんて言われて、笑ってごまかす。

おれは仕事が楽しかった。楽しくてしょうがなかった。どんなに辛くても楽しかった。解くべき問題がある限り働けると思っていた。そして解くべき問題が無くなることはないから、無限に働き続けられると思っていた。

ある晩、いつものように目が覚めた。時計を見るとたしか深夜1時ぐらいだったと思う。なぜかその晩は仕事をする気になれず、どうしようもないのでKindleを開いて、『ザ・ファブル』を途中まで読んだ。明け方になっても眠れず、そのまま朝食を取り、いつものように9時から仕事を始めた。その日は仕事がなんだか捗らなくて、ミーティングとミーティングの間に長めの休憩を取ったりした。ほぼ徹夜に近い状態だったのもあり、その日はちゃんと眠れた。

次第に、眠れない夜が増えていった。眠れる日と眠れない日が交互に続くようになった。何をする気にもなれず、夜の街を散歩するようになった。1時間ぐらいその辺りを歩いた。深夜営業のファミレスを探したが、コロナ禍でどこも夜11時には閉店していた。タクシーの運ちゃんたちに混じって、夜中にしか開かない立ち食いそば屋でかき揚げそばをすする日もあった。深夜まで受け付けているマッサージ屋に入って肩甲骨の内側を押してもらった日もあった。どの店も空いていなくて、ただぶらぶらしているだけの日もあった。帰ってきてもすぐに眠れるわけじゃなく、ソファに横になって、音楽を聞いたりして、うとうとしてから布団に入った。

やる気が無いわけじゃない。仕事は相変わらず忙しいし、何より楽しい。ただ、捗らない。活力に溢れていた夜が、ふと孤独でさみしい夜に変わった。昼寝の時間は次第に増していき、ミーティングを寝過ごしてしまうこともあった。最初のうちは「ヤクルト1000で快眠できるなんてウソじゃん、やっぱインターネットはうそつきだ」なんてうそぶいていたけど、気がつけば毎晩「今夜は眠れるだろうか」ということで頭がいっぱいになっている自分がいた。


最初に病院に行くことを勧めてくれたのは妻だった。状況を知っている友人や同僚も後押ししてくれた。近所のメンタルクリニックのメールフォームで予約をして、簡単な診察の後、薬を出してもらった。おくすり手帳には「心を落ち着かせるお薬です」「意欲を改善するお薬です」と書いてあった。

薬はてきめんに効き、おれはまた眠れるようになった。仕事も捗るようになった。そしてその時初めて、おれが「意欲を失って」いて、「意欲を改善するお薬」でそれを取り戻したことに気づいた。不眠は、おれが抱えていた問題の一つの側面でしかなかった。意欲を取り戻した瞬間、自分がいかに色んなことが出来ていなかったかに気づいた。

料理のレパートリーが、いつのまにか冷やし中華とうどんの繰り返しになっていたことに気づいた。やる気を出そうと買った自己啓発本や技術書に一つも手をつけていなかったことに気づいた。TwitterYoutubeをダラダラ見る時間が多かったのに気づいた。子供と丁寧に話すことを忘れて、怒鳴りつけて言うことを聞かせていたことに気づいた。頭を使う仕事や、面倒な仕事から目を背けていたことに気づいた。

薬が全てを取り戻してくれた。地道で面倒な仕事や、タフで頭を使う仕事に再び向き合えるようになった。仕事の息抜きに料理や掃除をし、代わりにTwitterを開く時間が減った。子供の気持ちに寄り添って、一緒に物事を考える機会が増えた。仕事が、人生が本当に楽しいと思えるようになった。


調子が良いときも悪いときも、おれの頭は考えることを止めなかった。楽しいときも、大変なときも、いつだって何かを考えていた。寝ているときも、起きているときも、ずっと考えている。たくさん考えれば、いい結論が出る。たくさん働けば、たくさん成果が出せる。夜中に仕事をすれば、その分仕事が進む。頭がその快感を覚えている。

ガソリンが切れた車のアクセルをずっと踏んでいる、ふとそんな情景が頭に浮かんだ。心は前に進もうとしているけど、エンジンはかからない。アクセルを踏めども踏めども、進むことも、戻ることもない。眠れなくなったのは、たぶんそういうことだったんだろうなと思った。考えることは止めないけど、考えるための燃料が無かった。


眠れなくなって、いろんなことを学んだ。眠れない日の過ごし方を知った。心に「燃料」があることを知った。それはもしものときには薬で入れられるものだと知った。おれが無限だと思っていたものは、無限ではなかった。ゆっくりゆっくり、大事に燃やさないと、途絶えてしまうものだった。

ある晩、また昔のように、夜中に仕事の夢を見て目が覚めた。パソコンはもう開かなかった。代わりに、コップ一杯の水を飲んで、ストレッチをして、ヘッドホンで静かな音楽を聞いて、落ち着いてから寝た。

もしかしたら、夢の中で思いついた良いアイディアを忘れてしまうかもしれないが、大抵そういうのは起きてまとめてみると大したことないものだし、そのうちいつかまた思い出すだろう。そう思うことにしている。


眠れず夜中に歩き回っていた時、Spotifyの『眠れぬ夜の音楽』というプレイリストを良く聴いていた。普段あまり聴かない曲ばかりだった。

その中に、KIRINJIの『エイリアンズ』と、奇妙礼太郎の『Life is beautiful』があった。この2曲は今でもおれのお気に入りだ。

眠れなかった日々は、辛かったが、悪いことだけじゃなかった。こういうのも人生の一部なんだろう。35歳の夏、おれは眠れない日の過ごし方と、心の燃料のことを学び、好きな曲が増えた。